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昔の話です。③のつづきです。

会社は倒産したけど、義父本人は自己破産を選ばないように弁護士さんに依頼していたようでした。最悪な状況の中でも保証人に少しでも良いように、形がつくまでは弁護士事務所通いをしていました。

私は幼い頃の借金の取立てを思い出して、金運が悪い私が嫁いでしまったからこうなったの?私のせい?などと思うようになってしまいました。

この時は、あぶない債権先が無かったからか、悪質な取立てに悩まされる事はありませんでした。
変な話ですが、きわめて紳士的な印象でした。これは社長であった義父が逃げないで誠意を持って対処していたからでしょう。今でも先方の担当者の神妙な表情は思い出します。

義父は、倒産によって解雇となる従業員のこれからのことも考えて、取引先に声をかけて再就職を斡旋していました。
労働基準局(だったと思う)などにも出かけて、未払い給与や見込み退職金などの国庫金の立替えも依頼しました。
一旦国庫金で立替払いをしてもらってから、その分の請求が会社代表者あてに来るというシステムになっているようです。

このシステムは従業員が会社を訴えるという形を取りますので、事件のような扱いで新聞に載るのです。労働基準局からそういう説明を受けても、義父は社員の生活を考えて「俺はいいから、そうしてくれ。」と、事を運びました。
普通は出来ないことだと思います。こういう状況の中でも立派な人だったと尊敬しています。
監督署の方では、従業員が来局する時には私達と日時が重ならないように配慮してくれました。(私は社長の家族になっているから従業員から反感を買うでしょうという意味で。)

余談ですが、この時に従業員の離職関係の手続きは全て私がやりました。
私の後輩は、自分もこの会社に恩があるからと残務処理を申し出てくれました。しかし、もちろん無給なので、気持ちだけありがたく頂戴しておきました。
こういう後輩に育ってくれた事は、とても嬉しく思いました。今でも大事な友達です。
従業員に各書類を送ったり連絡を取ったりしていましたが、これで最後のやり取りという時に、当然のように書類を受け取る従業員の中で、「・・・・・、あと、○○(私のこと)さんには本当に色々やってもらって感謝してます。」と思いがけない言葉を言ってくれた人がいました。胸が温かくなりました。
皆にとっても、今までとは全く違う環境になってしまう会社の倒産。実際に、会社のものを盗んでいく人もいました。
そんな中で、人を労う感謝の言葉を言えるだろうか。私もそういう事が言える人間になりたい。

この事態が落ち着くまでは、再就職できずに失業手当で暮らしていました。実母を心配させてしまいましたが、なんとかなると思っていました。
私の立場も微妙で、実家に一旦帰った方が良いのか迷いましたが、私も貯金が500万ほどありましたので、この人達を支えねばと又よけいな使命感で嫁いだまま居残りました 
その貯金ももちろん、泡のようになくなりましたけど

私はつくづく金運がないのか?と思いました。

お金に好かれる人間になりたいと思います

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昔の話です。②のつづきです。

私は親には絶対世話にならない!と決めていました。母には私が就職してからはずっと今までのお礼と思って生活費としてお金を渡していました。

父は行方不明になってから、自分で寮完備の仕事に就いていたようで、落ち着いた頃に実家に連絡があったようでしたので、連絡先は分かっていました。 

私が結婚を決めた時には、とても迷いましたが父に一応報告はしました。
父は電話の向こうで、「そうか。寂しくなるなあ。」と言いました。
別居してから何年も経っていて、しかも父が自ら行方をくらましておいて、そんな言葉が出てくるとは意外でした。
まだ小さい頃、そういえば私は父にとても可愛がられていたことを思い出しました。

その後に私の職場まで訪ねて来て、私に封筒とキッチン用品を差し出しました。封筒の中にはお金が入っていました。
あの父が、貯金をするまでに立ち直ったのだと嬉しく思ったと同時に複雑な気持ちでした。
そのお金は返した方がいいのか、素直に受け取った方がいいのか、とりあえず父の気持ちですので受け取りました。
結婚資金には使わずに定期預金にしておきました。

私と主人は、主人の父の経営する会社に勤務していました。結婚してまもなく会社は倒産。(ここに書いた事に関係します。)

義父は、ギリギリまで誰にも相談できなかったようでした。この時に専門家に義父が相談出来ていたなら、同じ倒産をするにしても、もっと色々な選択肢があったのだと思います。
その点、今はネットでこうして分からない事などを調べられるから便利な時代になったものです。

その時の債権先は銀行関係・リース会社・信販会社などで、あぶない債権先はありませんでしたが、私も主人も辛い思いをしました。
一番辛かったのは義父だと思います。原因不明の顔面神経痛になったりして気丈に振舞っていましたが、精神的にはボロボロだったから、見る見るうちに痩せていきました。
連帯保証人だった義母の実家にも迷惑をかけました。しばらくの間は、義母も涙しか出ない日々を過ごしていました。

この続きは昔の話④へ。

昔の話です。①のつづきです。

ある時、母は親戚に相談したのでしょう。
伯父や伯母が何度か訪ねて来て、話し合いをしようとしていましたが、結局は父は黙秘し続けて話になりませんでした。
そして、「何で人に言うんだ。」と母を怒っていました。
親戚の一人から、「創○学会に入れば大丈夫。」と宗教を勧められたこともありますが入ってません。母曰く、「ああいうところは、お布施でお金が要るんだよ。」ですって。

給食費も払えない時がありました 私は割りと真面目な方でしたので、宿題を忘れたりすることはありませんでしたし、学級委員や生徒会関係の役を任されて人の前に立つ事が多かったので、さすがに忘れ物をするということが嫌で学校を休もうかと思いました。
その時に給食費を持ってこなかったのは私だけでした。
「○○さんとした事が・・・、どうしたんだ?」と先生に聞かれて、「忘れました。」とワザと叱られたりしました。
先生に正直に話せたらラクになったのか?何の解決にもならないと子供心に思っていたのでしょう。

義務教育の給食費や必要なものの集金というのは、行政で税金の無駄遣いをなくしたものを回して欲しいと今でも強く思います。
そういう思いをする子供がかわいそうです。私は耐えられたけど。私以外にも耐えてた子がいたはずだし、耐えられない子もいるはずです。
そして、それに気付かない先生は「明日はちゃんと持ってきなさい。」と皆の前で言うだけです。

なぜか私の担任ではない先生から可愛がってもらって、母の職場にデコレーションケーキの丸いヤツを持ってきてくれたり、家に帰るとその先生が偶然通りかかったふうにしてお菓子をくれたりしました。
ウチが困っているのが分かっていたのでしょうか?でも、食べ物をもらえるのは嬉しかったけど、ちょっと気持ち悪くも思っていました。
接点が何もないのに。今は素直に感謝しています

姉が中学生の時、部活で遠征試合に行く為に交通費が必要だったのだと思います。ウチではその遠征費を用意出来なくてその日は部活を休みました。
レギュラーだったのに彼女は辛かっただろうと思います。
でも、子供ってお金は稼げないのです。芸能人なら別でしょうけど。
早くお金を稼ぎたい。自分の必要なものの為に使うお金が欲しい。いつもそう思っていました。
姉は中学を卒業すると家を出て、自力で働きながら高校を卒業しました。頭が下がります こんな実家でしたけど、後から聞いた話だと、姉はホームシックで泣いたこともあるようでした。

父に母が言った言葉で、今でも印象に残っているものがあります。「お前は金の事しか言わない。」  私が結婚してからお金の話を主人に出来なかったのは、これがトラウマになっていたのかもしれません。

そのうち父親自体が車ごと帰ってこなくなり、どこで何をしているのかも分からなくなりました。
借金をどういうふうに返していったのか分かりませんが、母は一銭も取立ての人には返していなかったようですし、家に取立て屋さんも来なくなったので、父が自分で何とかしたのだと思います。

そんな思いをしたから、高校に入ってからはバイトをしました。「直ぐにでも働きたいです。」と頼んで、入学式の前からバイトさせてもらっていました。
とてもありがたかったです。もう親からは一切お小遣いをもらわないと決めたのです。何か必要なものを買うのにも全て自分が稼いだお金でまかなってました 友達にもご馳走したりして羽振りは良かったです。それはそれで、嫌なガキだったと思います

この続きは昔の話③へ。

私の債権先は、クレジット会社からのものがほとんどです。(書士さんからはサラ金と変わらないと言われましたけど。)金利が安かったとしても、サラ金とか消費者金融と呼ばれるところからだけは借りたくないと思っていました。でも、結局はどこから借りてもその場しのぎで借りた同じ借金でしたね。

サラ金嫌いは、昔の苦い経験が原因なのだと思います。

長すぎたので、分割しました。
嘘のような話ですが実話です。お暇で興味のある方はどうぞ

 

実は、私が小学生高学年から中学生くらいまで、父親の借金の取立てで怖い思いをした経験があります

多分、パチンコなどのギャンブルや浮気が原因の借金なのだと思います。
サラ金から借りて、返済日になっても返せなかったから、電話や訪問があって私達家族が嫌な思いをしたのでしょうけど。

取立ての電話が来ても、父は「俺だったら『いない』って言え。」と偉そうに言い、
電話口でそう言うと「本当はいるんでしょう。」「明日事務所に来て欲しいと伝えて。」「電話必ずちょうだいと伝えて。」と言われたり。
中でも母が大泣きした時は強烈でした。
「娘の学校の友達の親に言って払わせろ。学校に言いに行くからな。」と怒鳴る声が電話口から漏れて聞こえてきました 涙と震えが止まらなかったです。
でも脅しだけだったようです。

学校から家に帰ると、コワモテの男の人が家の周りにうろうろして居たこともあります。
怖いのでそのまま家の前を通り過ぎて何処かで時間をつぶしてから帰ったり。
夜中も電話が何度もかかってきたり。取立ての人が家に来て大声で叫ばれたり。
確か、借金相手はマ○イとかジャッ○スとか、そんな名前だったと思います。

今ではマ○イというとファッションというイメージが強いのもしれませんが、私の中では筋金入りのサラ金というカテゴリに当てはまります

母も精神的に参ってしまったのだと思いますが、そういう時には何度も親戚の家に泊まらせてもらったこともありました。
父は仕事をしていなかったのか?生活費を家に入れず、母もパートで働いていましたが、電気・ガス・電話が止まることもある超貧乏な生活をしていました。

 

 この続きは昔の話②へ。

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返せる、絶対返す、何が何でも返すと思ってキャッシングを繰り返してきました。 なんとかせねばと前を向いて歩き出すために、選択したことを綴っていきます。
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