昨日の記事の続きです。
帰宅してみると、ドアポストの中に封筒が入っていました。
B信金からでした。・・・ということは、郵送ではなく、わざわざご訪問いただいたようです。申し訳ない
今回の事を説明する文章も入っていました。
受取書に署名捺印して返送しなければなりませんが、返信用封筒も切手いらずのものを用意してくれてありました。
頑張って貯金できるようになったら、B信金にお願いしようかな
このブログを書き始めて、一ヶ月が経ちました。(初めて書いた記事)
もう、というか、まだ、というか。
おかげさまで精神的にも安定して、妙な使命感に燃えて書いたことなどを振り返ると笑えてしまう部分もあります。
何分、つたない文章ですので分かりにくいところもあるかもしれません。その辺はご容赦下さいませ。
これからもどうぞよろしくお願いします。
今朝早くに、迷惑をかけてしまった債権先の一つであるB信金から自宅に電話がありました。
電話口で勝手に怯える私にB信金担当者は、
「以前、配達証明で貸付金残高に充当するとご連絡した出資証券ですが、覚えていらっしゃいますか?(忘れるわけはないよ。この時のことです。) その後に出資証券は書士さんからお返しいただいたのですが、来年○月○日に出金できることになりました。(はあ?)ですので、○○(私のこと)様にお返しししたいのですが、いついらっしゃいますか?」
と言うのです。
え゛~! こんな事ってあるの?
昔の職場の時に付き合いで出資した五千円分です。
私は、「今回ご迷惑をおかけして申し訳ないので、そちらでお使いいただいて結構です。」と答えました。
恥ずかしい話ですがビックリしたからか、恐かったからか、なんともいえない感情で涙が出てしまいました。
困惑しました。戻ってくるのは嬉しいけど、いただく資格はないと思うし家に来られたら嫌だし。
先方の説明では、保証基金(こんな名前だった?)から補填されるので、それとはまた別の考え方をして欲しいと。 私が受け取らないと逆に困るようす・・・。
結局、郵送していただく事になりました。
それではお言葉に甘えさせていただいます
ありがとうございますm(__)m
本当は、今すぐにでも欲しいんですけど、半年後じゃないと受け取れないらしいです。それはそれで良く分からないシステムですね
会社は倒産したけど、義父本人は自己破産を選ばないように弁護士さんに依頼していたようでした。最悪な状況の中でも保証人に少しでも良いように、形がつくまでは弁護士事務所通いをしていました。
私は幼い頃の借金の取立てを思い出して、金運が悪い私が嫁いでしまったからこうなったの?私のせい?などと思うようになってしまいました。
この時は、あぶない債権先が無かったからか、悪質な取立てに悩まされる事はありませんでした。
変な話ですが、きわめて紳士的な印象でした。これは社長であった義父が逃げないで誠意を持って対処していたからでしょう。今でも先方の担当者の神妙な表情は思い出します。
義父は、倒産によって解雇となる従業員のこれからのことも考えて、取引先に声をかけて再就職を斡旋していました。
労働基準局(だったと思う)などにも出かけて、未払い給与や見込み退職金などの国庫金の立替えも依頼しました。
一旦国庫金で立替払いをしてもらってから、その分の請求が会社代表者あてに来るというシステムになっているようです。
このシステムは従業員が会社を訴えるという形を取りますので、事件のような扱いで新聞に載るのです。労働基準局からそういう説明を受けても、義父は社員の生活を考えて「俺はいいから、そうしてくれ。」と、事を運びました。
普通は出来ないことだと思います。こういう状況の中でも立派な人だったと尊敬しています。
監督署の方では、従業員が来局する時には私達と日時が重ならないように配慮してくれました。(私は社長の家族になっているから従業員から反感を買うでしょうという意味で。)
私の後輩は、自分もこの会社に恩があるから

こういう後輩に育ってくれた事は、とても嬉しく思いました。今でも大事な友達です。
従業員に各書類を送ったり連絡を取ったりしていましたが、これで最後のやり取りという時に、当然のように書類を受け取る従業員の中で、「・・・・・、あと、○○(私のこと)さんには本当に色々やってもらって感謝してます。」と思いがけない言葉を言ってくれた人がいました。胸が温かくなりました。
皆にとっても、今までとは全く違う環境になってしまう会社の倒産。実際に、会社のものを盗んでいく人もいました。
そんな中で、人を労う感謝の言葉を言えるだろうか。私もそういう事が言える人間になりたい。
この事態が落ち着くまでは、再就職できずに失業手当で暮らしていました。実母を心配させてしまいましたが、なんとかなると思っていました。
私の立場も微妙で、実家に一旦帰った方が良いのか迷いましたが、私も貯金が500万ほどありましたので、この人達を支えねばと又よけいな使命感で嫁いだまま居残りました
その貯金ももちろん、泡のようになくなりましたけど
私はつくづく金運がないのか?と思いました。
お金に好かれる人間になりたいと思います
私は親には絶対世話にならない!と決めていました。母には私が就職してからはずっと今までのお礼と思って生活費としてお金を渡していました。
父は行方不明になってから、自分で寮完備の仕事に就いていたようで、落ち着いた頃に実家に連絡があったようでしたので、連絡先は分かっていました。
私が結婚を決めた時には、とても迷いましたが父に一応報告はしました。
父は電話の向こうで、「そうか。寂しくなるなあ。」と言いました。
別居してから何年も経っていて、しかも父が自ら行方をくらましておいて、そんな言葉が出てくるとは意外でした。
まだ小さい頃、そういえば私は父にとても可愛がられていたことを思い出しました。
その後に私の職場まで訪ねて来て、私に封筒とキッチン用品を差し出しました。封筒の中にはお金が入っていました。
あの父が、貯金をするまでに立ち直ったのだと嬉しく思ったと同時に複雑な気持ちでした。
そのお金は返した方がいいのか、素直に受け取った方がいいのか、とりあえず父の気持ちですので受け取りました。
結婚資金には使わずに定期預金にしておきました。
私と主人は、主人の父の経営する会社に勤務していました。結婚してまもなく会社は倒産。(ここに書いた事に関係します。)
義父は、ギリギリまで誰にも相談できなかったようでした。この時に専門家に義父が相談出来ていたなら、同じ倒産をするにしても、もっと色々な選択肢があったのだと思います。
その点、今はネットでこうして分からない事などを調べられるから便利な時代になったものです。
その時の債権先は銀行関係・リース会社・信販会社などで、あぶない債権先はありませんでしたが、私も主人も辛い思いをしました。
一番辛かったのは義父だと思います。原因不明の顔面神経痛になったりして気丈に振舞っていましたが、精神的にはボロボロだったから、見る見るうちに痩せていきました。
連帯保証人だった義母の実家にも迷惑をかけました。しばらくの間は、義母も涙しか出ない日々を過ごしていました。
この続きは昔の話④へ。
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